あなたなら、どうする?
書く気ありませんでしたー。
Blogに飽きたわけではないんですが、新しいネタを仕入れていないので、そういう方向では物理的に書けないですよね。
でもって、久々のグダグダ・コラムです。本当にグダグダです。
基本的に頭が悪いので、勝手に考えているだけなので、厳しい突っ込みは勘弁してください。
優しく教えてくださるのは嬉しいです。
と言うわけで。
以前にテレビかなんかで、「笑う」のは人だけである、と耳にしたことがある。
「嬉しい」気分を感情の表現として表すのは、犬などでもあるけれど、人の「笑う」というのとは違う気がする。
そういった意味で、「笑う」のは人だけなのだろう。
ところで、このBlogを読んでいる人の中に「悪人」はいるだろうか。
「悪い」ことを由として生きている人はいるだろうか。
人は「出来れば良い環境で、良い人生を送りたい」と考えるものだと思っている。
どうにもならない環境下において、諦めはあっても、それを由とはしないはずである。
「善き人」でありたい、とまでは思わないにしろ、「悪人」である事を好む人はそう多くない。
正確に言えば、「悪人である」と思われるのは、あんまり気持ちのいい事じゃない。
だから、人の社会はバランスを保って成り立っていると思う。
それは例えば、カインとアベルの話に見られるように、善と悪という二極の存在は昔から人の社会では当たり前だった。
人以外、即ち動物の世界では、どうだろう。人から見て「悪い」ことをする動物はいても、個々の動物においては、善と悪の区別はあるのだろうか。
例えば総合的に群れの中において、不利益になるとみなされ、それは「悪」ととられる事は生じると思えるけれど、意図的ではない。
「善い」事と考えて行動している事はあるのだろうか。
もっと言うと、「善い」と思われたくて行動している事はあるのだろうか。
人の多くは「善い人」だと思われたくて行動する事がある。
「悪い人」だと思われたくなくて、行動する事である。
意図的なものはもちろん、無意識のうちにもする。
その行動は往々にしてジレンマを生むことが多い。
ジレンマから生じるズレを戻そうとしても、自分が作り上げた、他人への理想像を壊さなくてはいけなくなる。ズレが大きければ大きいほどに、葛藤も大きくなる。
結果、壊せない人も多いのではないかと思う。
社会的には正しいとされる「善」であっても、個々にはジレンマが生じる「善」という、不思議な話。
これは、とても人間らしい話なのかも知れない。と思ったベッドの中。
個人的には「悪人」だと思われても仕方のない人生を送っております。

